現在、日本で楽しまれているハロウィーンは、アイルランドをはじめとするヨーロッパ各地からの移民によって持ち込まれ、できあがった「アメリカ版ハロウィーン」といえます。
それでは、もともとのハロウィーンとはどんなものだったのでしょう?
ハロウィーンの起源
ハロウィーン(Halloween)は、7世紀初頭に定められたキリスト教の All Hallow's Day [ 諸聖人の日 (万聖節、11月1日)] の前夜「All Hallow's Even」が短縮され、Hallowe'enからHalloweenと変化してきた言葉ですが、もともとはアイルランドやスコットランドにキリスト教が伝わるはるか昔か らケルト人によって祝われていた古代の祭り、Samhain(サウェン、サワーンと発音) に起源があります。
Samhain (サウェン、サワーンと発音) は、ケルト人にとって収穫期の終り、厳しく暗く長い冬のはじまり、そして新しい一年のはじまりを祝う祭事でした。ケルトの一年の終りは10月31日とされ、この晩は物事が移り変わり、時間と空間の境目が一時的にあいまいになるので死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や妖精、魔女が出てくると信じられていました。
そこで、これらの悪霊や魔物に取り付かれないよう、追い払おうとして恐ろしい格好をして仮面を被ったり、魔除けの焚き火(Bonfire)を焚いたりしていました。今の日本に置き換えてみると、ちょうど、お盆と大晦日がいっしょになったような日がハロウィーンということになります。
 
ヨーロッパの源流、ケルト
さて、ヨーロッパの北西部にあるアイルランドには、およそ7,000年前から人が住み着くようになり、度重なる襲撃や侵略を受けた結果、さまざまな民族と伝統が混じり合うようになりました。各地には自然石を使った巨大ドルメン(巨石墳墓)や先史時代の古墳や古代遺跡が点在しています。
 
ニューグレンジ   キャロウモア
紀元前6世紀までに、侵入してきたケルト人がアイルランド島の文化と言語を統一してケルトの国が誕生します。ケルト人は神々・妖精とともに暮らし、自然のすべてに精霊が宿っていると信じていました。現実の世界と神秘な世界を結ぶのは神話であるとし、自らの文字を持たなかった彼らは渦巻きや組み紐紋様によってその心を表現しようとしました。
 「ケルト民族はやさしく夢を己にあてがい、
  薄明に妖精の歌を聞きつつ、
  魂や、死んでしまったものたちを、しみじみ考える。
  ここにケルト民族がいる。」
                イエイツ『ケルト妖精物語』より
湿地帯が多く、土地が肥沃とはいえないアイルランドでは、生活の中で死を不吉なもの、あるいは悲しむべきものとはとらえず、むしろこれを安息として受け入れ、必ず再生につながるものと考え、祝福する習慣が人々に根づいていました。
焚き火(Bonfire)
 
ドゥーン・エンガス、アラン諸島
 
ドルメン・クレア
 
ウィリアム・バトラー・イエイツ
ローマ文化、キリスト教との融合
紀元43年、ローマは西ヨーロッパからブリタニアにまで版図を広げ、その後、400年にわたってこれらケルトの地を治めることになります。 ローマはこの時代、積極的に自分たちの儀式とケルト土着の祭礼との同化政策を進めました。その代表的なのものが、ローマの“果樹の神、ポマナ(Pomana)”のシンボルとされたリンゴ崇拝です。現在も、ハロウィーンで伝統的に行われるアップルボビングなどにその風習が見ることができます。
5世紀はじめ、ローマ支配の終焉と機を一にしてアイルランドでもキリスト教の布教がはじまります。アイルランドでは土着のドルイド教やケルトの習俗に大幅に妥協することで、わずか数十年の間に全土がキリスト教化されたといわれています。
 
グレンダロッホ   スケリッグ・マイケル
ハイクロスと呼ばれる丸い輪のついたアイルランド特有の十字架には、複雑なケルト紋様とともに聖書のエピソードが彫刻されていますが、これは読み書きが出来なかった人々にその教えを説くためであったとか。
当時のアイルランドでは修道院を中心とした布教活動が盛んで、絶海の孤島や人里離れた地に設けられた修道院で世俗から離れ、規模しい戒律の下に禁欲的な生活を送る修道士たちは、一般の人々から畏敬の念をもって見らていました。また、修行院は学識と芸術の殿堂として、富貴層や権力者も挽きつけ、やがて修道院自体が大きな力を持つようになっていきます。
独特のケルト紋様は、写本の装飾美術として世界にその芸術性を認められ、以後のヨーロッパ美術界に多くの影響を与えていきます。
ダブリンのトリニティー・カレッジ旧図書館に収められている聖書の福音書『ケルズの書』は、その壮麗な装飾で当時の高度なケルト美術の集大成と されています。
Pomona, by Nicolas Fouché, c. 1700.
 
ハイクロス・クロンマクノイズ
 
ケルズの書・ダブリン
アメリカ版ハロウィーン
ハロウィーンと言えば、カボチャで作った“ジャック・オ・ランタン”が有名ですが、実はこれもアメリカで普及したスタイルの逆輸入版です。もともとアイルランドではカボチャがなかったので、簡単に手に入るカブ(ターニップ)を使っていました。アイルランド西部にあるアイルランド国立博物館・カントリー館では、当時、カブ(ターニップ)で作られたジャック・オ・ランタンを観ることができます。
17世紀に、やせた土地でも収穫できる作物として導入されたジャガイモのおかげで、アイルランドの人口は100年の間になんと820万人まで増加しました。1845年当時、ジャガイモはアイルランド人のまさに主食として定着。一人一日食べるジャガイモの量は約4.5kgにも達していたそうです。
そして、この年、今日のハロウィーンにも大きな影響を与えた大事件が発生します。それが「ジャガイモ飢饉(Potato Famine)」です。
アイルランド中に蔓延した胴枯れ病により主食のジャガイモが全滅、約100万人が飢えと病で亡くなったといわれています。この飢饉をきっかけに、食べていけない祖国を離れて新天地アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドへ大量の移民がはじまりました。
映画「タイタニック」で描かれたアメリカへの旅、そして現地での生活はたいへん厳しいいものだったようですが、その苦難を乗り越え、現在、アメリカの人口の内、約4,000万人がアイルランド系の人々だといわれています。
アメリカに渡ったアイルランド人は、祖国アイルランドに思いを馳せながら、親しんできたハロウィーンを大切に祝うのですが、そこにはカブよりもカボチャがゴロゴロ。カブより柔らかいのでくり抜くのも簡単だし、中身はいろいろと料理にも使えるということで、ハロウィーンにはカボチャのジャック・オ・ランタンとスタイルができがったという訳です。
 
カブ(Turnip)で作られた
ジャック・オ・ランタン
 
アイルランド国立博物館・
カントリーライフ館
アルスター・アメリカン・フォーク・パーク
移民したアメリカでの生活の様子をいろいろと 確認することができます。
参考資料:
「じゃがいものきた道」山本紀夫/岩波新書
「ケルトの残照」堀淳一/東京書籍
「物語アイルランドの歴史」波多野裕造/中公新書
「ケルトの薄明」W・B・イエイツ/ちくま文庫
「ケルトの風に吹かれて」辻井喬、鶴岡真弓/北沢図書出版
「アイルランドを知るための60章」海老島均、山下理恵子/明石書店
「ハロウィーンとアイルランド人」by Irish Network Japan
  http://www.inj.or.jp/seanachai/ireland/05halloween.html
「The Halloween Encyclopedia」 by Risa Morton
  http://halloween.lisamorton.com/